神戸地方裁判所 昭和26年(ワ)912号 判決
原告 宗和たま
被告 永岡豊次郎
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金一〇万円及び之に対する昭和二六年一〇月二六日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに保証を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「原告は、昭和二五年三月原告の養女秀子の許へ被告の子弘蔵を養子に貰いうける縁談が調つたので、古来の慣習に従い右縁談成立のために金一〇万円を結納金として被告に交付した。しかるに同年夏に至つて双方合意の上、右縁談は解消されてしまつたので、右結納金はその原因を失つた。よつて被告は右金員を原告に返還しなければならない。仮りに右主張は理由がないとしても、縁談解消の際、被告は之を原告に返還する旨約束したから、右特約に従つて之を返還する義務がある。しかるに被告は之を履行しないから、本訴をもつて、右金一〇万円及び本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和二六年一〇月二六日以降之が完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。」と述べ、尚
被告訴訟代理人の主張に対して「秀子と訴外黒岩某との間に婚姻の話があつたのはずつと以前のことであり、しかも秀子等は之を承諾しなかつたもので秀子が右黒岩と婚姻するようなことはない。
縁談解消の際、仲人永岡憲一郎は結納金のうち三万円程品物を買つた旨原告に述べていたのであるから、被告がその主張のような買物をしたことは否認する。仮りにその通り買つたとしても、右は被告が勝手に買つた上之を自ら使い古したため生じた損害であるから、原告に之が賠償を求めることはできない。仲人に対する謝礼は、原告が別に出したものであつて、被告が結納金から出したものではない。しかも仲人永岡憲一郎は被告の子で弘蔵の実兄であるから、被告が同人に謝礼を出すのはおかしいことである。また弘蔵の母や姉等の旅費についてはお互いのことである。」と述べた。
被告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求め、答弁として「原告主張の頃、原告の子秀子と、被告の子弘蔵との間にその主張のような縁談が調い、被告が原告から結納金一〇万円を受取つたこと、本件訴状が被告に送達された日の翌日が原告主張の日であることは認めるが、その破談の経緯は、結納を取交した際挙式の日を昭和二五年四月一九日と定め、なお原告から四月一〇日頃挙式の打合せにきてくれとの求めがあつたので、その頃被告の方から原告方に赴いたところ、原告は四国へ旅行中とのことで、二三日後改めて訪ねる旨約して帰つたのにその日にも原告は不在なる由電報で通報して来、そして四月一二、三日頃になつて突然、原告方は破産に頻してしまつたから、右婚約は解消すると通告し原告一方の都合により破談にして了つたのであつて、婚約解消について当事者間に合意が成立した事実はない。
しかして結納金は慣習に従い原告より被告に贈与されたものであつて、右婚約が原告方の一方的都合によつて解約された以上その受者である被告にはこれを返還する義務はない。
仮りに、被告に之を返還する義務があるとすれば、原告は秀子の意思を確めずして、婚約をし、結納を交し挙式の日まできめておいて、挙式数日前に至つて突然破談すると言い出したもので、被告はかかることは知らずに、婚姻は真実なされるものと信じていたため、諸般の準備を整え、弘蔵にも結婚に必要な物品を買与えたりしたので、其等が無駄になり左のような損害を蒙つた。即ち弘蔵の姉や母が調査のため垂水及び淡路に赴いた旅費二千八百円、仲人の旅費及び電話電報料八千三百円、祝用酒肴代四千円、婚姻準備に必要な物を買整えるのに要した雑費六千円仲人の祝儀一万円(之は慣例に従い結納金の内より取分けて原告に渡し、原告より仲人に支払われたもの)並びに弘蔵に買与えた物が古くなつて現価が買入価格より減少したため損害六万千三百円(タンス本箱等一五点金一〇万四千四百円を買与えたところ、右品物の現在の価格は金四万三千百円にしか達しない。)合計金九万二千四百円の損害を蒙つたので被告は原告に之が賠償を求める権利があるから、之と対等額において相殺する。」と述べた。
<立証省略>
三、理 由
昭和二五年三月原告の養女秀子の許へ、被告の子弘蔵を養子に貰いうける旨の縁談が調い、慣習に従つて原告より被告に、結納金一〇万円が交付されたことは当事者間に争いがない。
証人永岡憲一郎の証言と被告本人の供述の各一部によると右縁談はそれまで順調に進行し、挙式の日まで定められたのに、挙式の日の数日前になつて、原告から仲人永岡憲一郎に対し、突然挙式を一寸待つて欲しい、との申出があり、次いで事業の失敗により原告方は破産したから結婚はできないよつて破談にしてくれとの申出があつた。
被告等は余り突然のことであり、また右憲一郎の妻の母が原告が破産したというのは嘘である。との噂を聞いてきたりしたので破談の原因につき疑い、破産の事実を納得の行くように示してくれなければ申出に応じられないと之を拒絶していたが、その後そのことは明らかにされないままに時日が推移し、事実上破談の形になつてしまつたことが認められる。原告本人の供述中右認定に反する部分は信用できない。
ところで結納は、特殊の場合(例えば婚姻の仕度費を取方において相手に贈与するためこれを結納金に包含させ不相当に多額な結納を贈る場合)は別として慣例上普通の場合は、他日婚姻の成立すべきことを予想し、その縁結びの印としてなされる一種の贈与であるが、しかし後日婚姻が成立しなかつたからとて、その原因の如何にかかわらず必ず返還されるべきものとする慣習ありとは認められず、むしろ婚姻不成立の事情に応じ結納の性質とかかる場合にあるべかりし当事者の意思(当事者は婚姻不成立という不吉な場合を予想し、予め現実に意思表示をする筈はない)とを勘案して合理的に決するのが、世間一般に行われている慣例に合致する解釈であると思料される。ところが本件婚姻解消についてみると、前認定の通り原告が自分の方の一方的都合によつて破毀したものであるが、このように自ら破談にしながら、結納の返還を求めるという非礼の態度は元々結納が縁結びという精神的結合の印として儀礼上授受される性格からも許されないと解するのが世上一般の常識に一致し、従つて慣習にも従う所以であると判断されるので、婚姻が解消されたから結納は慣習上当然返すべきだとする原告の主張は、本件の結納が特別の場合であるとの主張も立証もないから到底採用できない。
次に本件結納については返還する旨の特約が成立したとの原告の主張についてみるのに原告本人の供述中には右主張に一応副う部分があるが証人永岡憲一郎の証言に照し、たやすく信用できず、甲第二号証の一、二の記載は、未だもつて、右特約を認めるに充分でなく、他に右事実を認めるに足る証拠はない。よつて爾余の点を判断するまでもなく、原告の請求は失当である。
以上の通り、原告の請求は理由がないので、之を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 石井末一 西川正世 村上幸太郎)